プログラム・ノート


第20回演奏会

2022年10月23日(日) 14:00開演

執筆:舞雨麗図

 

F.メンデルスゾーン

真夏の夜の夢から"序曲"

 

早熟の天才、フェリクス・メンデルスゾーン・バルトルディが弱冠17歳の折に書き上げた傑作です。

原案となったのは、イギリスの劇作家シェイクスピアによる同名戯曲。

 

まずは作曲者について。

『幸せ』という意味のコトバをファーストネームに持つこのヒトは、才能という点においては確かに幸せとしか言えない早熟ぶりを示しています。

早熟の音楽の天才と言えばモーツァルトが有名ですが、モーツァルトとメンデルスゾーン両方の小さい頃を知っている(それもスゴイ)かの文豪ゲーテはこんな事を語ったそうです。

『この子(メンデルスゾーン)の演奏は奇跡とかいう次元すら超えとる。小さい頃のモーツァルトと比べたら?メンデルスゾーン坊やは成熟した大人、モーツァルト坊やはバブバブ赤ちゃんじゃわい』

 

次に、題名について。

邦題は『真夏の夜の夢』ですが、真夏というと、人によっては『アーチーチーアーチー(byヒ○ミGO)』や『あー!なーつやすみーっ(byT○be)』あたりを連想するかも知れませんが然に在らず。

神秘的かつ超自然的な事の起こる、夏至祭を指します。

つまり、『夏至祭の夜に起こった不思議な出来事』と言った意味と思っていただきたい? (一応言っておきますと、夏至祭とは日々の苦しい労働を忘れるため、農民階級の唯一の快楽を解放する祭りでもあります。日本でも昔は存在してたので、言わなくても分かりますよね?昔はマンガもYouTubeも無いのでやむ無しなのです。、、、ハッキリ言ってしまいますと、、、乱交です)

次は、曲の中身について。 たった12分のこの曲中に、しっかりと戯曲のあらすじと登場キャラクターが描写されていることもあり、以下に戯曲のあらすじを簡単に記します。

 

【あらすじ】

幻想の魔法力が高まり、摩訶不思議な事が起こると言われる夏至祭を4日後に控えたこの日、アテネ大公の宮殿では言い争いが起こっている。

一方には、父親の決めた許嫁と別の若者と添い遂げたいと願う娘とその想い人。他方には、俺の言う通り許嫁と結婚しろと喚く父親とその許嫁。

アテネの法に基づき、アテネ大公はその娘に、父親の言う通り許嫁との結婚か、さもなくば死かの選択を、夏至の夜までに行うよう告げる。

愛し合う2人はアテネの法が及ばぬ遠い地へと逃れようと、夏至の魔力渦巻く森へと、その足を踏み入れる。 それを追って許嫁と、その許嫁に想いを寄せる別の娘も、森の奥へと踏み込んでいく。

その森では、妖精達の王オベロンとその妻ティターニアが、まことにくだらない事で喧嘩の真っ最中。

怒ったオベロンは臣下の妖精パックに命じ、眠ったティターニアの瞼に『妖精の惚れ薬』を塗るよう命じる。この秘薬は、塗られた者が次に目覚めた時、初めて見たものに心を奪われてしまうという、恐ろしい催淫効果を持った媚薬である。

持ち前の悪戯心を起こしたパックはこの薬を、ティターニアばかりか近くで寝ていた先述の2組の人間の男女にまで塗ってしまう。

そこに、来る夏至祭で劇をアテネ大公にお見せするんだと意気込む無骨な職工達までやって来て、、、 惚れた腫れたの大騒ぎが巻き起こる!

色々あって、、、 最後はオベロン王が媚薬の呪いを解き、揉めていた恋人たちはそれぞれ自分の好きな相手と結ばれる。良かったよかった。

そして、恋人たちは魔法のような微睡みに落ちていく、、、 とまぁ大体こんなカンジ!

大分端折ってますがお許しください。

 

そのあらすじを頭の何処かに入れて頂いた上で、では次はお聴き頂く曲の方を見てみましょう。

 

まず冒頭です。

最初はフルート2本だけ。 次に、そこにクラリネットが加わって、、、 最後はファゴットとホルンが加わるフェルマータの和音。

物語の冒頭、夏至祭を控えた真っ暗な森に、妖精たちが放つ魔法の光が一つ、また一つと増えていって、エロティックな夏至祭の森が現出する様を目前に見る想いです。

ピアニシモのヴァイオリンが奏でる超ハイスピードの八分音符は、美しい妖精たちの目にも止まらぬ速さの乱舞。 その後に突然現れるTuttiが、物語の発端となるアテネ大公宮殿の、豪奢かつ壮麗な大広間。 ベルガマスク舞曲の形式で鳴り響くのは、無骨な職工たちの靴音と、ノコギリの音(ヴァイオリンの跳躍をお楽しみください) 大団円となり、眠りこける恋人たち(夏至祭ですので、、、何が起こったかはお分かりかと思います)のそばで、パックが灯す魔法の光。

こうして物語は終わります。

いやあ、こうして改めて聴いてみると本当に素晴らしい曲です。

200年前にこの序曲を聴いたプロイセン王も大層ご感激になったのでしょう。

『勅命』を発して、メンデルスゾーンにシェイクスピアの劇全体を伴奏する音楽を追加で作曲させています。

サラッと書きましたが、、、勅命ですよ勅命。ナントの勅令とかのアレです。

正式な強制力のある命令であり、場合によってはヒトの生き死にを左右するものです。

それを劇付随音楽の作曲に発令するとは、、、完全なる職権濫用であります。

が、この場合はプロイセン王グッジョブ!と言いたい。

その職権濫用が、我々を含む後世の人々にとても素晴らしい贈り物を遺してくれたからです。

 

最後に、、、

この曲の題名は、元となったシェイクスピアの戯曲が明治時代、坪内逍遥によって『真夏の夜の夢』と訳されたが為に、同じ題名が付けられたものです。

しかし実は、その後のシェイクスピア研究の進展により、もうかなり昔から(1940年頃から)その題名は使われておらず、戯曲の方は『夏の夜の夢』と呼ばれています。

となると当然、その戯曲を元にした音楽も『夏の夜の夢』と呼ぶべきだ、という事になります(現に、Wikiでは序曲のページも『夏の夜の夢』表記に変更されている)。

ではなぜ、今日の演奏会においての演目が『真夏の夜の夢』となっているのか、、、?

その辺りは今日、これから我らが音楽監督が、プレトークでご説明してくれるものと思います。

 

では、どうぞごゆっくりとお楽しみください。


R.シューマン ピアノ協奏曲イ短調 Op.54

 


F.メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調「スコットランド」

 

 メンデルスゾーンの書き上げた、最後の交響曲。

出版順が3番目なので交響曲第3番と呼ばれていますが、4番(イタリア)・5番(宗教改革)は本人が生前に出版を許さなかった(改訂するつもりだったらしい)という事ですので、彼自身が認めたという点において、メンデルスゾーンという巨大な存在の最終到達点(少なくともそれに近い曲)と考えて良いと思います。

 

先ほど、メンデルスゾーンの属性として「早熟の天才」という言葉を挙げましたが、この曲を語る上では別の属性をご紹介する必要が、どうしてもあります。

それは「大金持ちのお坊ちゃま」属性です。

彼は、(当時忌み嫌われていた)ユダヤ人の銀行経営者の息子として、当時の世界最高水準の教育を受けています。一族は金持ちであるだけでなく文化に対する興味造詣が深く、祖父は著名な哲学者、両親がベルリンに構えた自宅サロンには「ヨーロッパが自宅にやってくる」と言われるレベルで音楽家や科学者や画家が訪れていたのです。

そんな恵まれた環境で、しかも明らかな天賦の才を発揮し始めている愛息子フェリクス(なんせ12歳の時に当時の大文豪ゲーテに会い、コイツは奇跡だと宣告され2週間おうちに帰してもらえなかった。それ普通に誘拐だからねゲーテ)に対して、超セレブな両親が贈る教育の総仕上げ。

それがこの曲作曲の端緒となった、20か月に及ぶイギリス旅行なのです。

現代の我々が言うところの「卒業旅行」ですが、当時のセレブの風習では「グランツアー」と呼ばれています。若い時代に旅に出て人生の見聞を広めると同時に、実際の仕事(収入)にも繋がるような人脈を形作る事を目的とした、成人への通過儀礼です。 そこで見たスコットランドの厳しい険しい自然と、自国とは全く異なる風物に、若い彼の心は大きく動かされます。特に、かつて栄華を極めたホリールード宮殿の荒廃した廃墟を見た時、天才の中に一つのメロディが生まれます。

それこそが、これから今日お聴き頂くこの交響曲の冒頭部分です。 ホリールード宮殿(とそこで暮らした恋多く愚かな女王メアリースチュワート)の栄華と没落の物語は、そのままスコットランドの栄光と没落(イングランドとの統合)の話に繋がるので、とてもここではご紹介できません。

日本人が共感・想像できそうな例えを無理やりしておくと、平家の栄華を没落を描く一大叙事詩「平家物語」を深く理解する人が、安徳帝入水の壇ノ浦古戦場や、遺された建礼門院が余生を送った大原を訪れたその時、心に浮かんだ諸行無常の諦念がメロディの形を取った、という感じでしょうか。 いずれにしてもこの曲は、教育に裏打ちされた歴史に対する深い理解と、現地でのインスピレーションで生まれた、そういう意味では大金持ちのボンボンでないと書けない(カネを湯水のごとく使う贅沢極まる教育を受け、20か月もの世界旅行を親の金でする必要あり)のです。

そう書くと、そんなブルジョアの書いた曲なんぞ有難がるな!となりますでしょうか、、? でも私は、こんな素晴らしい曲が無い世界はすごくイヤだなぁとも思います。

拡大する貧富の差を礼賛するつもりは毛頭無いけれど、収奪された富によって生み出される善美もまたある、という事かしらと思いつつ、今日は頑張って演奏致します。