31年という短い生涯のうちに、溢れ出る楽想を五線譜に書き留め続けたシューベルトは、とりわけ膨大な数の歌曲を遺したことで「歌曲王」の異名をとるが、現在までに判明しているだけで未完も含め10数曲取り組んだ交響曲もまた彼にとって 重要なレパートリーであった。
《交響曲第3番》は1815年、18歳の時の作曲で、《交響曲第2番》を完成させた直後に作曲を開始、2か月ほどで書き上げている。しかし、存命中に初演されたという確かな記録は無い。シューベルトが私的な場で指揮を執ったか、演奏を聴いた可能性はあるが、生前のシューベルトが公の場で自らの交響曲を聴く機会はほとんど無かったようである。
死後32年経った1860年12月2日、ウィーンにおいて、ヨハン・ヘルベック(1831-1877)の指揮により第4楽章が演奏された、というのが《交響曲第3番》の最初の公式な演奏の記録である。 ヘルベックは、のちに有名なロ短調交響曲《未完成》D759を「発見」し初演することになるのだが、その件はここでは措いておく。全楽章の初演は、それからさらに年月を経た1881年2月19日、 ウィーンから遠く離れた大英帝国の首都ロンドン、水晶宮(クリスタル・パレス)という超巨大なイベントホールでおこなわれた。
古典的な2管編成で書かれており、演奏時間ではシューベルトの交響曲のなかで最も短いが、このジャンルにおけるシューベルトの個性の萌芽を感じさせる逸品である。なお、同じ1815年には歌曲《魔王》や《野ばら》などの名曲も生み出されていることを併記しておく。
第1楽章:短調の序奏ののち、クラリネットがリズミカルな主題を提示し、行進曲ふうの快活なアレグロ部分へ移行する。途中、オーボエが提示する第2主題と展開部を挟む。
第2楽章:この緩徐楽章では、14世紀の民謡「マリアの子守歌」の旋律を引用し巧みに織り込んでいる。
第3楽章:ベートーヴェンのスケルツォ楽章からの影響が見られ、「メヌエット」としてはいるもののスケルツォと見做してよいだろう。トリオ(中間部)のレントラー(※ドイツ南部やオーストリアの民族舞踊に端を発する舞曲)もベートーヴェンからの影響と考えられる。
第4楽章:疾走感に溢れるフィナーレ。わずか5歳年長ながら、オペラ(特にブッファ=喜劇)の分野でヒット作を連発していたジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)の影響が指摘され、「まるで喜歌劇の序曲」とも言われるが、シューベルトはそれらも自らの音楽に取り込み、美しく精華させている。
作品のタイトルとなっている《カルミナ・ブラーナ》は、1803年に現在のドイツ南部、バイエルン州のベネディクト派ボイレン修道院で発見 された、300篇にものぼる古い歌(詩)を集めた写本がもとになっている。11世紀から13世紀頃にかけて書かれたとみられるこれらの歌はラテン語、中世のドイツ語、古フランス語などが使われ、世俗的な内容が多数含まれていた。作者は、修道院を訪れた当時の学生や修道僧たちと考えられている。「ボイレン歌謡集」を意味するラテン語である「カルミナ・ブラーナ」の名で呼ばれるようになっていたこの写本は、1847年に印刷本として復刻・出版された。
1934年の聖木曜日(復活祭の前週の木曜日)に、おおもとの写本を見る機会を得たオルフは、写本の表紙を飾る「運命の車輪」の絵と記された詩に大いに霊感を受け、「その日のうちに主題曲(※1曲目と終曲を飾る「おお、運命の女神よ」のことであろう)を完成させた」と回想している。
《カルミナ・ブラーナ》は1936年に作曲が完了し、翌1937年6月8日にフランクフルト・アム・マインの市立劇場で初演され、大成功を収めた。それまでは音楽教育者として活動しつつ作曲もおこなってきたオルフは、この《カルミナ・ブラーナ》こそが作曲家としての自分の出発点であるとして、それまでの作品は破棄してほしいと出版社に願い出ている。
このあと作曲した《カトゥーリ・カルミナ》(1943 年)、《アフロディテの勝利》(1953年)と併せて、三部作《トリオンフィ(勝利)》とした。しかし、全体の構成や演奏効果などから、他2作と比べても《カルミナ・ブラーナ》が採り上げられる頻度は圧倒的に高い。なお、「カトゥーリ・カルミナ」 と「アフロディテの勝利」はそれぞれ全く異なる詩人のテキストが用いられており、《カルミナ・ブラーナ》とは内容的にも直接の関係は無い。
導入部:《運命の女神、全世界の支配者なる》 劇的な開始で聴き手に圧倒的印象を与える第1曲「おお、運命の女神よ」は、最後の第25曲で再度演奏される。第2曲「運命の女神の傷手を」とともに、運命の女神には抗えないという虚しさ、諦め、嘆きがうたわれる。
第1部:《初春に》 「春」を主題にした歌をまとめた第1部は、第3曲~第5曲と、第6曲~第10曲の2つのブロックに分けられる。 まずは、春の到来を寿(ことほ)ぐ合唱による第3曲「春の喜ばしい気配」、バリトン独唱の第4曲「太陽はあらゆるものを暖かく包む」。共に春の喜びをうたうが、「運命の女神」の存在がチラついて心から喜んでいるふうではない。しかし、合唱による第5曲「見て!」でその呪縛から解き放たれたかのように明るくリズミカルな歌がうたわれる。
《草原にて》 第6曲「踊り」はオーケストラによる舞曲ふうのリズミカルな音楽、第7曲「森は光り輝き」は合唱が恋人を待つ若い娘の想いをうたう。ちなみに、歌詞は前半がラテン語だが、後半は中世ドイツ語にかわり、以後第10曲までは中世ドイツ語が使われる。女声合唱が主体となる第8曲「お店屋さん、私に頬紅くださいな」では、女性が男性に向けて愛のあり方を説く(男声合唱は無歌詞)。第9曲の冒頭「円舞(輪舞)」は、オーケストラのみでゆっくりとしたテンポの舞曲が奏でられ、それが静まると弦楽器の激しいピツィカートに導かれた合唱が「ここで輪になって」をうたう。中間部でひそやかに恋人を待ちわびる若者の歌「おいで、愛しい人よ」、その後再び「ここで輪になって」がうたわれ、ほぼ切れ目なしに第10曲「世界中が全て私の物だとしても」へ移行する。
第2部:《居酒屋にて》 ここでの声楽は、男声独唱および男声合唱のみが起用される。第2部の歌詞はすべてラテン語である。憤懣やるかたない、といった若者の気持ちを表した第11曲「胸のうちは、抑えようもない」はバリトン独唱。ファゴットのユーモラスな旋律で始まる第12曲「昔、私は湖に住んでいた」は、全曲中唯一の登場となるテノール独唱が人間に捕えられ焼かれ食べられようとしている白鳥の嘆きをファルセット(裏声)で大仰にうたい、それを男声合唱がからかう。バリトン独唱で始まる第13曲「我はクカニア修道院長」はグレゴリオ聖歌ふうの抑揚で、怠け者の楽園であるクカニアを讃え、後半に短く男声合 唱が絡む。そして男声合唱のみとなる第14曲「酒場にいるときは」は、ひたすら酒呑み野郎どもの歌、歌、歌!
第3部:《愛の誘い》 「愛」を主題にした第3部 では、中世の恋愛観や性愛が直截的に描かれた歌がテキストに選ばれている。児童合唱が初めて登場する第15曲「アモルはそこら中を飛び回る」では、後半にソプラノ独唱も登場する。第16曲「昼も夜も、全てのあらゆるものが」では、恋する若者のやるせない気持ちがバリトン独唱でうたわれ、一部に古フランス 語歌詞が使われる。第17曲「少女が赤いワン ピースを着て立っていた」ではソプラノ独唱が 若さと美しさへの憧憬(追憶かもしれない)をうたう。第18曲「あなたの美しさで、私の胸は」での、恋人への思慕を募らせる若者(バリトン独唱、ラテン語)とそれを慰撫する合唱(中世ドイツ語)との対比に続く第19曲「もしも若い男と娘が、一緒の」(男声合唱、バリトン独唱)では男女の 性愛の模様がうたわれ、第20曲「来て、来て、来ておくれ!」(合唱)で恋人へのストレートな呼びかけに至る。第21曲「天秤に心をかけて」(ソプラノ独唱)は前曲の盛り上がりを鎮めるかのようにゆったりと、しかし情感豊かに愛への決意がうたわれる。第22曲「季節は悦楽の時」でテノール独唱以外の声楽パートが動員され、楽句の反復のたびにパートの組み合わせを変えていく。 それが盛り上がり、断ち切られたところでソプラノ独唱によってうたわれる第23曲「愛しいあなた」は、わずか4小節ながら超絶技巧が要求されている。
《白い花とヘレナ》 この第24曲「この上なく姿美しい人」(合唱)をもって、愛を巡る第3部が華やかに締めくくられる…が。
《運命の女神、全世界の支配者なる》 第25曲「おお、運命の女神よ」は、第24曲から続けて演奏され、運命の女神、運命の車輪から逃れることは出来ない、という中世思想を表出して全曲を終わる。